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イヌは最も古くに家畜化された動物である。手に仔犬(イヌかオオカミかはっきりしない)を持たせて埋葬された、1万2千年ほど前の狩猟採集民の遺体が、イスラエルで発見されている。分子系統学的研究では1万5千年以上前にオオカミから分化したと推定されている。イヌの野生原種はタイリクオオカミ (Canis lupus) の亜種のいずれかと考えられている。イヌのDNAの組成は、オオカミとほとんど変わらない。

元来は、住居の見張り、次いで狩猟の補佐などのために家畜化されたと考えられるが、現在はほとんどが愛玩用であり、日本ではおよそ5世帯に1世帯がイヌを飼っている。長い年月をかけて交配が試みられ、ダックスフント、トイ・プードル、ブルドッグなど、用途に応じたさまざまな品種が開発されてきた。19世紀に生まれたケネルクラブによって、外形、気質などにより犬種の人為的な選別が進んだが、20世紀以降に生まれた新犬種の多くは、見た目だけのために作られたものが多い。犬は人間によって最も人為的改良をくわえられた動物であると言える。

古代メソポタミアや古代ギリシアでは彫刻や壷に飼い犬が描かれており、古代エジプトでは犬は死を司る存在とされ、飼い犬が死ぬと埋葬されていた。紀元前に中東に広まったゾロアスター教でも犬は神聖とみなされるが、ユダヤ教では犬の地位が下り、聖書にも18回登場するが、ここでも豚とともに不浄の動物とされている。イスラム教では邪悪な生き物とされるようになった。現在でもイスラム圏では牧羊犬以外に犬が飼われることは少ないが、欧米諸国では多くの犬が家族同然に人々に飼われている。日本でも5世帯に1世帯が犬を飼っているといわれている。中世ヨーロッパの時代には、宗教的迷信により、魔女の手先(使い魔)として忌み嫌われ虐待・虐殺された猫に対し、犬は邪悪なものから人々を守るとされ、待遇は良かった。

日本においては縄文時代の遺跡から埋葬された犬が見つかっており、古代日本人とともに犬を飼う習慣が日本列島に渡ってきたと考えられる。また、弥生時代の長崎県の原の辻遺跡などでは、解体された痕のある犬の骨が発見され、食用に饗されたことも窺える。『日本書紀』には日本武尊が神坂峠を超えようとしたときに、悪神の使いの白鹿を殺して道に迷い、窮地に陥ったところ、一匹の狗(犬)が姿を現し、尊らを導いて窮地から脱出させたとの記述がある。そして、『日本書紀』には天武天皇5年4月17日(675年)の条に、4月1日から9月30日の期間、牛・馬・犬・猿・鶏の、いわゆる肉食禁止令を出しており、犬を食べる人がいたことは明らかである。なお、長屋王邸跡から出土した木簡の中に子を産んだ母犬の餌に米(呪術的な力の源とされた)を支給すると記されたものが含まれていたことから、長屋王邸では、貴重な米を犬の餌にしていたらしいが、奈良文化財研究所の金子裕之は、「この米は犬を太らせて食べるためのもので、客をもてなすための食用犬だった」との説を発表した。奈良時代・平安時代には貴族が鷹狩や守衛に使う犬を飼育する職として犬養部(犬飼部)が存在した。鎌倉時代には武士の弓術修練の一つとして、走り回る犬を蟇目矢(ひきめや。丸い緩衝材付きの矢)で射る犬追物や犬を争わせる闘犬が盛んになった。 江戸幕府中期、江戸では野犬が多く、赤ん坊が食い殺される事件もあった。5代将軍・徳川綱吉は戌年の戌月の戌の日の生まれであったため、彼によって発布された「生類憐れみの令」(1685- 1709年)において、犬は特に保護(生類憐みの令は人間を含む全ての生き物に対する愛護法令)され、元禄9年(1696年)には犬を殺した江戸の町人が獄門という処罰まで受けている。綱吉は当時の人々から「犬公方」(いぬくぼう)とあだ名された。綱吉自身大の愛犬家で狆を百匹飼い、駕籠(かご)で運ばせていた。この法令が直接適用されたのは幕府の直轄領であったが、間接的に適用される諸藩でも将軍の意向に逆らうことはできなかった(ただし、この法令には戦国時代の影響の残る暴力的な気風を抑える目的があったという面も最近では指摘されている)。一般に明治以前までは農村などでは狸や狐と同様に食用とされることもあったが、食糧難の第二次世界大戦後しばらくまではその風習は各地で残り、忠犬ハチ公の子孫が盗難に遭い、食べられてしまったという記事が当時の新聞に残る。